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■The Sprituals/黒人霊歌の誕生

17世紀に奴隷船により、故郷から遠く離れたアメリカに強制的に連行されたアフリカ人たちが、心のよりどころを求めて仲間して密かに口ずさんだ唄、それがゴスペルのルーツとなる、「The Sprituals/黒人霊歌」と呼ばれるものです。彼らは、1日の苦役を終えた後、夜遅くに奴隷主たちの家から遠く離れた場所、Hush Harbor(≒見えない教会。隠れた教会)で自分たちの礼拝をもって、歌い踊ったと言われています。虐げられた屈辱、家族や故郷から離れ離れになった寂しさ、かすかにともる明日への希望を魂の叫びのごとく自分たちの唄にのせて賛美しました。これが「The Sprituals/黒人霊歌」の誕生です。

■ステージパフォーマンスとしてのスピリチュアルズへ

アフリカ人は自分たちの歴史、文化そして宗教を彼らの大陸において口承で伝え広めていきました。同様のスタイルで、スピリチュアルズもアメリカの各地へどんどん広まっていきました。そんな中、大きな転換期を迎えます。それは、1866年に創設された黒人学校Fisk Schoolが財政困難解消のために考案した「Fisk jubilee Singers」です。スクールの学生9名が公演を各地で行い、スピリチュアルズのレパートリーを披露することによって、寄付を集めるというものでした。当初は正当な評価を得ることは非常に困難でしたが、その後公演を重ねるうちに、Ohio州のOberlin大学での公演では白人聴衆に高い評価を受け、その後ヨーロッパでの公演も果たし、彼らの功績によりスピリチュアルズの素晴らしさはアメリカ全土、そしてヨーロッパにも広まりました。このようにスピリチュアルズはステージパフォーマンスへの発展を遂げました。
 
 
 ■そしてゴスペルへと

1930年代になると、当時ブルース界でトップミュージシャン&作曲家であった、トーマス・A・ドーシー(ゴスペルの父と呼ばれています)が教会音楽界へと転身をいたしました。彼の書く曲はブルースのテイストに溢れ、それまでのスピリチュアルズとは一線を画すものとなり、あらたに「ゴスペル」と呼ばれるようになりました。彼は全米に「ゴスペル」を広めるとともに、ゴスペルソングの代表曲ともいうべき「Precious Load」「Piece In The Valley」を発表し、「ゴスペル」の普及に多大な功績を残しました。

■ニューウェーブの出現

黒人霊歌に始まり、時代を経てブルースなどのさまざまな音楽と互いに影響されながら、今で言う「ゴスペルミュージック」が形成されていきました。そんな中でゴスペルとソウルやR%Bなど他のジャンルとの距離をさらに縮める役目を果たしたのが、1969年にゴスペル界では初めて全米ナンバーワン・ヒットになったエドウィン・ホーキンスの「Oh Happy Day」です。この曲は後に映画「天使にラブソング2」に挿入され日本でもお馴染みのナンバーになりました。

■アーバン・コンテンポラリー・ゴスペル

1960年代に発展したクワイア・スタイル(3声で奏でる大聖歌隊)は全米各地で繰り広げられる大規模なゴスペル・ワークショップを通じてどんどん浸透していきました。さらに90年代に入るとクワイア・サウンドはソウル、ディスコ、フュージョンなどと接近し、斬新なコードやビートを取り入れ、アーバン・コンテンポラリー・ゴスペルへと進化していき、全米で数々のクワイアが誕生していきました。カーク・フランクリン&ザ・ファミリーやドナルド・ローレンス&ザ・トライ・シティ・シンガーズはヒップホップの要素を取り入れ「ゴスペル」をさらに革新的な方向へと導いていきました。

(参考文献)
ゴスペルの歴史/ゴスペルとAFRO AMERICANに関するお勉強の部屋
はじめてのゴスペル/塩谷達也
Hush Harber/塩谷達也
Wikipedia/ゴスペル(音楽)
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